2020-05-21 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号
そういった意味で、もう時間がなくなってきましたが、「昭和八年の津波」で「子供の眼」という段落というか部分があって、その一部分だけ読ませていただきますが、こういったことは子供の言葉が子供に一番伝わるのではないかと思うので読ませていただくんですが、尋常小学校三年の大沢ウメさんという方が「つなみ」という題で、 がたがたがたと大きくゆりだしたじしんがやみますと、おかあさんが私に、 「こんなじしんがゆると
そういった意味で、もう時間がなくなってきましたが、「昭和八年の津波」で「子供の眼」という段落というか部分があって、その一部分だけ読ませていただきますが、こういったことは子供の言葉が子供に一番伝わるのではないかと思うので読ませていただくんですが、尋常小学校三年の大沢ウメさんという方が「つなみ」という題で、 がたがたがたと大きくゆりだしたじしんがやみますと、おかあさんが私に、 「こんなじしんがゆると
昭恵夫人の講演を聞いた保護者の感想が「おかあさん新聞」で紹介されています。日本一の幼稚園とおっしゃってくださり心より感謝、この幼稚園のすごさを実感しました。誰がどう見ても広告塔ではありませんか。 まさに総理夫人の、夫妻の、夫妻のですよ、この問題、こういう、今ではあれだけ批判を浴びている教育内容を賛美してきた。
幼稚園の「おかあさん新聞」の一面に紹介されています。そして、二〇一五年九月五日にも安倍昭恵氏の講演会が行われていると。 だから、少なくとも二〇一四年四月、十二月、そして二〇一五年九月と三回訪問している。これ以外にも訪問されているんじゃないですか。その事実を聞いているんです。私は犯罪者扱いしているんじゃない、事実を聞いているんです。
このてがみを みんなでよんでいるところを たのしみにして、これから おかあさんは がんばっていきます」。 この手紙を受け取ったのは、私がかつて被災地で出会い、先般、再会を果たした少女です。その際、彼女は、私の目をじっと見詰め、小学校を建ててほしいと言いました。過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに、私は強く心を打たれました。
このてがみを みんなでよんでいるところを たのしみにして、これから おかあさんは がんばっていきます」 この手紙を受け取ったのは、私がかつて被災地で出会い、先般、再会を果たした少女です。その際、彼女は、私の目をじっと見詰め、小学校を建ててほしいと言いました。過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに私は強く心を打たれました。
ヨッシーは、おかあさんなのに、色々な紙には男の人になっている。 おじいちゃんもおばあちゃんもみんなヨッシーを女の人だと認めているのに、おかしいです。 ぼくも妹も、ヨッシーの性別を変えるべきだと思います。 お母さんがいつまでも男と書かれているのは、絶対に変だと思います。 ということがあるわけです。
そういう意味で、何かあったらおかあさんでも先生でもだれか友達でも言っちゃってごらんということを小さいころから繰り返し社会的スキルとして教えていくことが大事なんじゃないかと思うんです。 それから、人権教育の問題、ジェンダーの教育、これは本当に我々心理学の中でも大事な問題として取り組んでおります。 フリースクールの件でありますが、これは私自身の考えでよろしいですね。
ここは心細いけど、おかあさんが書いた一通の手紙の内容を思い浮かべては、いろんな辛さ、寂しさを吹き飛ばしています。今の自分に一番の支えとなる手紙です。本当だったら、もう見捨てられるのが当然なのに、こんな自分にもまだ見守ってくれている人たちがいるんだなと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。自分は恵まれています。今まで不幸な人生ばかりと思って生きてきた自分が嫌で情け無くなります。
そのほかいろいろ宗教団体もセールスもございますけれども、学校の子供のいろんな教育熱心なところのおかあさんの名簿をそろえてちゃんと調べてセールスその他もやってまいりますから、そのたびに玄関で時間をつぶされるのは自分の時間を大切にしたい今どきの奥様にしたら、大変腹が立つと言ったら語弊がありますけれども、随分ストレスを感じておられるようです。
ごらんになった方も多いかと思うのでありますが、これは某新聞でありますけれども、「「先にふろに入った子供が”おかあさん、ごめん。手を切ってふろの湯に血がまざっちゃった”と注意するんです。いまからそんな神経を使って生きていくのかと思うとかわいそうで……」と」、エイズ感染の子供の母親たちが初めて重い口を開いた。
これは、先ごろ入学式シーズンだったわけですけれども、NHK発行の「おかあさんの勉強室」に載っている詩があります。「入学式で」という詩であります。 校長先生のお話って、おもしろくないね。なにを言ってるんか、なにもわかれへん。みんなしっかり勉強しましょうだって。なに言ってるの、みんな勉強するつもりで。学校にきてるじゃないの。 (中略) あーあ、先生もあくびしてるよ。
そのかわり、おかあさんが、はたらきにいっています。 よる、おとうさんとおかあさんがケンカをしています。 どうしてケンカをしたのか、ぼくにはわかりませんが、おかねのことかもしれません。これからは、えんぴつもちいさくなるまでつかおうとおもいます。 涙なくしてこの子供さんの文章は読めません。 大きな造船所がひっくり返れば下請も大変です。下請の言葉、こんな手紙をもらいました。
あるいは「わたしの未来」というので書いた生徒でありますが、 わたしのおとうさんは日本人です おかあさんは中国人です わたしのきぼうは 将来中国にいきたいです これを作文で訴えているわけであります。
ぼくは 生きていくのです 脳性マヒを生きていく やさしさこそが大切で かなしさこそが美しい そんな人の生き方を 教えてくれた おかあさん 僕は脳性麻痺を生きていく、こう言っております。わずか十六歳で「やさしさこそが大切で かなしさこそが美しい」という人生観を押しつけたのは一体だれでしょうか。親でしょうか、何でしょうか。
お手元の資料の中に出ておりますけれども、 ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくがうまれて ごめんなさい ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくは言う ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの白髪も なかったろうね 大きくなった そのむすこを 背負って歩く かなしさも 「かたわな子だね」と ふりかえる つめたい視線に泣くことも
おかあさんが「花子、朝顔が咲いたよ」とおっ しゃいました。私が縁側に出てみると、かきね の間に、赤いのや白いのやいろいろの朝顔が咲 いています。私は夏の花で朝顔が大好きです。 こんなことを小学校の二年生で書くようになっちゃう。
おかあさん、なんにちにかえってきますか。 おてがみを、かいてください。でんわばんごうを、おしえてください。 でんわを、かけてください。 すんでいるところは、どこですか。 ぼくは、まだおとしだまが八せんえんもあります。 だから、いつでもれんらくがあればたずねていきます。 これが小学校一年生のお手紙です。 三年生の清水みどり君。 お父さんがいなくてさびしい。
おにいちゃんにたのまれて、おかあさんが、しごとのかえり、本やによって、にほんこくけんぽうとゆう本をかってきた。 これなんです。 おとうさんが、「そんなの中学生がよむやつで、むずかしいぞ。」といっていた。おとうさんは、すこしたって中みをみたら、「おとうさんにもべんきょうになる。」といっていた。おとうさんが「いさむ、ちっとかしてくれ。」といっていた。おかあさんもきょう「べんきょうになる。」
「おかあさん」という題なんですが、 バイクで雨の中、おかあさんはさむいと思っていなかった。学校でいいはなしがきけるとおもってはやくきた。そんなおかあさんとちょうどあった。おかあさんのかおをみて、雨でかおがびっしょり。よーくみたら、おまけにはなみずがでていた。「おかあさん、はなみずでてるよ。」といったら、おかあさんが「ちりがみちょうだい。」といったから、あげた。
三番目の柱といたしましては、催し物だとか、「おかあさんの勉強室」だとか、「シルクロード」や何かの放送を利用して勉強するサークルや何かがございます。それから放送会館の見学を通じての視聴者の方々への理解促進活動でありますけれども、番組の公開や催し物は全国で年間三千回を超す公開や催し物をやっているわけでございますが、これに参加していただく視聴者の方々が約二百六十二万人でございます。
というのは、核家族が多くなりますので、おかあさんの子供に対する教育も大事だと思いますので、それを読んで、高等学校のものも見てきました。あるいは中学校の本を読んで、これで義務教育が終わるとすれば、一般社会事象に対してある程度の判断なり、あるいは指導というものがその中から得られるかと思って読んだわけですが、どうも抽象的なものが多いのです。あるいは輸入したものが多い。
おかあさんおやつちょうだい。」 私が学校から帰って来て、まず最初に言う言葉がこれです。もうこの言葉には、ずいぶん長らくおせわになっています。それというのも、中学校の冷たい給食のせいなのです。 中学校へはいる時、くいしんぼうの私がいちばん楽しみにしていたのは、あたたかくて、おいしい給食だったのですが、いざ食べて見ると、冷たいおかずでおいしくないパン。ぜんぜん期待はずれでがっかりしてしまいました。